東京高等裁判所 平成10年(行ケ)407号 判決 2000年3月29日
原告
日本特殊陶業株式会社
代表者代表取締役
【A】
訴訟代理人弁理士
【B】
同
【C】
被告
京セラ株式会社
代表者代表取締役
【D】
訴訟代理人弁理士
【E】
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、平成9年審判第2827号事件について、平成10年10月19日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨
第2当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、名称を「生体用ジルコニアインプラント材」とする特許第2121472号発明(昭和62年8月6日出願、平成6年3月30日出願公告、平成8年6月13日特許査定、同年12月20日設定登録、以下、この特許を「本件特許」といい、発明を「本件発明」という。)の特許権者である。
被告は、平成9年2月21日、原告を被請求人として、本件特許につき無効審判の請求をし、同請求は、平成9年審判第2827号事件として特許庁に係属したところ、原告は、同年7月29日、明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載を訂正する旨の訂正請求(以下「本件訂正請求」といい、本件訂正請求に係る訂正を「本件訂正」という。)をし、さらに、平成10年3月16日及び同年8月3日に、本件訂正請求に係る請求書の補正をした(以下、順次「第1次補正」及び「第2次補正」という。)。
特許庁は、同無効審判の請求につき審理したうえ、平成10年10月19日に「特許第2121472号発明の特許を無効とする。」との審決をし、その謄本は同年11月30日、原告に送達された。
2 特許請求の範囲の記載
(1) 設定登録時の明細書(以下「登録時明細書」という。)に記載された特許請求の範囲
【請求項1】Y2O3を2mol%以上6mol%未満含み、共沈法又は加水分解法で得られる、Y2O3の分散性の良好な部分安定化ジルコニアの微粉末を成形焼結した平均焼結体粒径0.8μm以下である生体用ジルコニアインプラント材。
【請求項2】上記部分安定化ジルコニア微粉末に、Al2O3及び又はTiNを、150重量%以下添加したものを成形焼結した特許請求の範囲第1項記載の生体用ジルコニアインプラント材。
(2) 本件訂正請求に係る訂正明細書(以下単に「訂正明細書」という。)に記載された特許請求の範囲
【請求項1】人工関節の回動する部分に用いられる人工関節用ジルコニアインプラント材であって、安定化剤としてY2O3のみを2mol%以上6mol%未満含み、共沈法又は加水分解法で得られる、Y2O3の分散性の良好な部分安定化ジルコニアの微粉末を成形焼結した平均結晶粒径0.8μm以下であり、生体内と同様な環境に配置した場合の700日後の正方晶から単斜晶への相転移量が40%以下であることを特徴とする人工関節用ジルコニアインプラント材。
【請求項2】上記部分安定化ジルコニア微粉末に、Al2O3及び又はTiNを、150重量%以下添加したもの成形焼結した特許請求の範囲第1項記載の人工関節用ジルコニアインプラント材。
(3) 第1次補正に係る訂正明細書に記載された特許請求の範囲
【請求項1】人工股関節の回動する部分に用いられる人工股関節用ジルコニアインプラント材であって、安定化剤としてY2O3を2mol%以上6mol%未満含み、共沈法又は加水分解法で得られる、Y2O3の分散性の良好な部分安定化ジルコニアの微粉末を成形焼結した平均結晶粒径0.8μm以下であり、生体内と同様な環境に配置した場合の700日後の表面部の正方晶から単斜晶への変化が20%以下であることを特徴とする人工関節用ジルコニアインプラント材。
【請求項2】上記部分安定化ジルコニア微粉末に、Al2O3及び又はTiNを、150重量%以下添加したものを成形焼結した特許請求の範囲第1項記載の人工股関節用ジルコニアインプラント材。
(4) 第2次補正に係る訂正明細書に記載された特許請求の範囲
【請求項1】人工股関節の骨頭球に用いられる人工股関節用ジルコニアインプラント材であって、安定化剤としてY2O3を2mol%以上6mol%未満含み、共沈法又は加水分解法で得られる、Y2O3の分散性の良好な部分安定化ジルコニアの微粉末を成形焼結した平均結晶粒径0.8μm以下であり、生体内と同様な環境に配置した場合の700日後の表面部の正方晶から単斜晶への変化が20%以下であることを特徴とする人工関節用ジルコニアインプラント材。
【請求項2】上記部分安定化ジルコニア微粉末に、Al2O3及び又はTiNを、150重量%以下添加したものを成形焼結した特許請求の範囲第1項記載の人工股関節用ジルコニアインプラント材。
3 審決の理由の要点
審決は、別添審決書写し記載のとおり、(1)第1次、第2次補正は、いずれも本件訂正請求に係る請求書の要旨を変更するものであって、特許法131条2項の規定に適合しないので採用しないとし、(2)本件訂正は、登録時明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものではなく、平成5年法律第26号による改正後の特許法134条2項但書の規定に適合しないので、本件訂正請求は認められないとし、(3)本件発明の要旨を登録時明細書の特許請求の範囲の請求項1記載のとおりと認定したうえ、請求項1記載の発明及び実施態様項である請求項2に記載の発明が、特願昭61ー267060号の明細書及び図面(特開昭63ー123861号公報)に記載の発明と同一であるから、特許法29条の2の規定により特許を受けることができないものであり、同法123条1項2号の規定によって無効とすべきものであるとした。
第3原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中、特願昭61ー267060号の明細書及び図面の記載事項の認定(審決書14頁11行~15頁17行)は認める。
審決は、本件訂正が、登録時明細書又は図面に記載した範囲内のものではないと誤って判断し(取消事由1)、また、第1次、第2次補正が本件訂正請求に係る請求書の要旨を変更するものと誤って判断した(取消事由2)結果、本件発明の要旨を登録時明細書の特許請求の範囲の請求項1記載のとおりと認定したことにより、本件発明の要旨の認定を誤ったものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 取消事由1(本件訂正が登録時明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものではないとした判断の誤り)
(1) 審決は、本件訂正につき、「特許明細書(注、登録時明細書)の特許請求の範囲請求項1に、ジルコニアインプラント材が(1)人工関節の回動する部分に用いられる人工関節用である点、および(2)生体内と同様な環境に配置した場合700日後の正方晶から単斜晶への相転移量が40%以下である点を追加するものである。しかし、これらの点については、特許明細書には記載がない。(1)の点については人工股関節に関する実施例の記載はあるものの、この記載から人工関節が一義的に導き出せるとはいえない。(2)の点については、実施例に本件発明に相当する試料A、Bの表面部の結晶相の変化が20%以下であり、比較例に相当する試料C、D、Eでは40%を超えた旨の記載はあるが、この記載から「40%以下」の数値限定が一義的に導き出せるとはいえない。したがって、上記(1)(2)の点は、特許明細書又は図面に記載した範囲内のものではない。・・・以上のとおりであるから、上記訂正請求(注、本件訂正請求)は、特許法等の一部を改正する法律(平成6年法律116号)附則第6条第1項の規定に基づき、特許法第134条第2項ただし書(平成5年法)の規定に適合しないので、当該訂正は認められない。」(審決書8頁4行~9頁8行)と判断した。
ところで、平成5年法律第26号による改正後の特許法(以下、平成5年法律第26号を「5年改正法」といい、5年改正法による改正後の特許法を「5年特許法」という。)は、特許無効の審判等が特許庁に係属している場合において、訂正請求の制度を新設するとともに(5年特許法134条2項)、訂正審判の請求による場合を含め、訂正の要件として、「その訂正は、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければなら」(同法134条2項、126条1項)ないものとした(以下、この要件を「新規事項追加禁止の要件」という。)。
そして、5年改正法附則2条1項は、「この法律の施行の際(注、平成6年1月1日、以下「5年改正法施行日」という。)現に特許庁に係属している特許出願又は特許に係る審判・・・については、・・・その特許出願又は審判・・・について査定又は審決が確定するまでは、なお従前の例による。」と規定しているが、本件のように、5年改正法施行日より前に特許出願がされたものの、5年改正法施行日以降に特許査定が確定し、設定登録がなされた特許に対し、その後に特許無効の審判請求がなされた場合は、同項に該当しないから、本件の無効審判請求については5年特許法が適用になることになる(なお、本件の無効審判請求の日は平成9年2月21日であるが、平成6年法律第116号附則6条1項により、なお、5年特許法が適用される。)。したがって、5年特許法134条2項、126条1項により、本件訂正は訂正請求によってなされることになり、かつ、規定上は、本件訂正に対し新規事項追加禁止の要件が適用されることになる。審決の上記判断は、本件訂正に対し新規事項追加禁止の要件をそのまま適用し、本件訂正が同要件を具備しないものとして、本件訂正請求を認めなかったものである。
(2) しかしながら、本件特許のように、その出願が5年改正法施行日よりも前の特許について、5年改正法施行日以降に無効審判請求があった場合の訂正請求に対し、5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件を適用することは、憲法29条1項に反するものであり、同法98条1項に則り、5年改正法はその限度で効力を有しないものというべきである。
すなわち、財産権に対する規制の合憲性は、規制の目的、必要性、内容、制限される財産権の種類、性質、制限の程度等を比較考慮して決すべきであるが、規制目的が公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、又は規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであるときには、裁判所はその効力を否定することができるものである(最高裁判所昭和62年4月22日大法廷判決・民集41巻3号408頁)。
しかるところ、5年改正法施行日前の出願に係る特許に対する無効審判請求及び特許権者の訂正審判請求が、5年改正法施行日より前になされた場合であれば、その訂正に対して5年特許法126条1項の新規事項追加禁止の要件は適用されないから(5年改正法附則2条1項)、いわゆる新規事項であっても、それが当業者にとって自明であり、特許発明が当然備えているはずの条件であれば、特許請求の範囲に追加することが認められたのに対し、無効審判請求の時期が遅れ、5年改正法施行日以降となった場合には、特許権者の訂正請求に係る訂正に対して新規事項追加禁止の要件が適用されることになり、訂正の認められる範囲が制限されることになる。すなわち、5年改正法施行日前の出願に係る特許について、無効審判請求が5年改正法施行日以降になされたときには、財産権である特許権につき、本来有効であるものとして認められていた権利範囲が制限されることになるのである。
しかしながら、5年改正法施行日前の出願に係る特許については、その出願当時、将来、特許の訂正について新規事項の追加禁止という制限を受けることになるとは考えられなかったものであり、したがって、明細書は、そのような制限を受ける場合を想定して書かれてはいないものである。すなわち、上記のとおり、5年改正法施行日前においては、明細書に記載がなくとも、当業者にとって自明の事項であれば訂正が認められていたから、実務上、明細書又は図面には自明の事項までいちいち記載しないことが多かったのである。このような実情の下において、5年改正法施行日前の出願に係る特許について5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件が適用されるとすれば、本来は、無効審判の請求があっても、自明の事項を追加する訂正によって、特許無効の事由を解消し、特許権を維持できたはずであるのに、それが新規事項の追加に当たるとして訂正が認められず、特許権が消滅してしまうことが起こり得ることになる。そうすると、5年特許法134条2項によって新規事項追加禁止の要件が設けられたことが公共の福祉に合致するとしても、この規制目的の達成のため、5年改正法施行日前の出願に係る特許について特許無効の審判請求がなされ、特許権者が訂正請求をする場合に新規事項追加禁止の要件を適用することは、明らかに必要な限度を超えて財産権を侵害するものであり、憲法29条1項に反するものというべきである。
(3) 仮に、5年改正法における、5年改正法施行日前の出願に係る特許について5年改正法施行日以降に無効審判請求があった場合の訂正請求に対し、5年特許法134条2項を適用することになる点が違憲とはいえないとしても、上記(2)の事由に照らせば、5年改正法施行日前の出願に係る特許についての訂正請求に対し、5年特許法134条2項を適用するに当たっては、同項の「その訂正は、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならず」との規定は、新規事項追加禁止を定めたものではなく、5年改正法による改正前の特許法126条1項所定の訂正の要件と同旨のものと解すべきである。
被告は、特許出願日が相違することにより、同一の条文につき異なる解釈をすることは、特許法の解釈論上あり得ないと主張するが、特許出願日が何時であるかは、誰にでも容易、かつ、明確に判明するものであり、その相違によって異なる解釈をしたとしても、法的安定性を害することはないから、特許出願日が相違することにより、同一の条文につき異なる解釈をすることが、特許権の保護を適切に図る所以であり、具体的妥当性を有する以上、そのような解釈論があり得ないものではない。
(4) 以上のとおり、いずれにせよ、本件訂正に対し5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件をそのまま適用し、本件訂正が同要件を具備しないものとして、本件訂正請求を認めなかった審決の判断は誤りである。
しかして、本件訂正について、審決が登録時明細書又は図面に記載した範囲内のものではないとした追加事項のうち、人工関節の回動する部分に用いられる人工関節用である点は、登録時明細書に人口股関節に関する実施例の記載があることから見て、当業者に自明な事項であり、また、生体内と同様な環境に配置した場合700日後の正方晶から単斜晶への相転移量が40%以下である点は、登録時明細書の実施例に、本件発明に相当する試料A、Bの表面部の結晶相の変化が20%以下であり、比較例に相当する試料C、D、Eでは40%を超えた旨の記載があることから見て、やはり当業者に自明な事項である。
そうすると、本件訂正に対し5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件を適用せず、5年改正法による改正前の特許法126条1項所定の訂正の要件に基づいて判断をした場合には、本件訂正請求を認めるべきものであることは明らかである。
したがって、本件訂正を認めず、本件発明の要旨を登録時明細書の特許請求の範囲の請求項1記載のとおりと認定した審決は、本件発明の要旨の認定を誤った違法がある。
2 取消事由2(第1次、第2次補正が本件訂正請求に係る請求書の要旨を変更するものとした判断の誤り)
(1) 審決は、第1次、第2次補正につき、いずれも、訂正明細書の特許請求の範囲の請求項1における「安定化剤としてY2O3のみを」との記載を「安定化剤としてY2O3」に補正する点が、特許請求の範囲の拡張であって、訂正明細書の要旨を変更するものであるから、特許法131条2項に違反するものであるとして、第1次、第2次補正を採用しなかった(審決書4頁12行~5頁2行、6頁2~12行)。
しかしながら、本件訂正請求に係る第1次、第2次補正については、次のとおり、要旨変更に当たらないものと解すべきである。
(2) すなわち、原告は、本件訂正請求に対する平成9年12月18日付訂正拒絶理由通知書において、本件訂正のうち、安定化剤としてY2O3のみを含むとした点が、「本件発明において安定剤をY2O3のみに限定する技術的根拠についても、特許明細書(注、登録時明細書)には記載はない。」(甲第16号証2丁目2~4行)との指摘を受けたことにより、第1次、第2次補正において、訂正明細書の特許請求の範囲の請求項1の「安定化剤としてY2O3のみを」との記載を、「安定化剤としてY2O3を」に戻す補正をしたものである。
一般に、訂正請求に係る訂正明細書に新規事項が追加されていた場合には、請求人(特許権者)に訂正拒絶理由の通知がなされ、指定された相当の期間内に意見書を提出する機会が与えられる(5年特許法134条5項、165条)とともに、この意見書提出期間内に補正をする機会が与えられる(同法17条1項)。ところが、本件のように、上記期間内に、特許権者が訂正拒絶理由通知で指摘された新規事項を削除する補正をしたときに、それが、特許請求の範囲の拡張であって、訂正明細書の要旨を変更するものであるから採用しないとの判断がされるとすれば、訂正の当否は、補正前の訂正明細書に基づいて審理されることになり、そうなると依然として新規事項が残ったままであるから、結局、訂正請求が認められないことになる。すなわち、特許権者は、補正の機会が与えられたにもかかわらず、実質的に救済される余地がないことになるのである。なお、訂正請求をなし得る期間は、特許無効の審判請求に対する答弁書の提出期間に限られている(同法134条1項、2項)から、新規事項を含む訂正請求を一旦取り下げて、再度訂正請求をすることも不可能である。
このように、特許権者が、一度、訂正請求に係る訂正明細書に新規事項を追加してしまうと、それを削除して訂正請求を認められるようにする余地がなくなってしまうというようなことは、特許権者にとって著しく不利であり、発明の保護を図るという特許法1条の目的に反するものといわざるを得ない。
この場合に、特許権者が明細書の訂正によって特許無効の事由を解消するためには、特許無効の審決がなされるのを待って、一方で審決取消訴訟を提起してその確定を防ぎ、他方で改めて訂正審判請求をすることになるが、そのために訴訟事件と審判事件を1件ずつ増やすことは、訴訟経済、審判経済に反するものである。
特許法131条2項は、請求書の補正がその要旨を変更するものであってはならない旨を定めるが、どのような補正が要旨変更に当たるかについては、同項に直接の定めがなく、解釈に委ねられているものであるところ、上記のような事由を考慮すれば、第1次、第2次補正のように、訂正請求をした特許権者が、訂正拒絶理由通知によって新規事項と指摘された点を元に戻し、新規事項を削除する補正については、要旨の変更に当たらないものと解する合理的な理由があるというべきである。
そして、このように解したとしても、特許権の権利範囲が設定登録時より広がるわけではなく、第三者にとって何ら不利益が及ぶものではないし、新規事項を削除して元に戻したものであるか否かは、極めて容易に判断できるため、審判における審理を遅延させるものでもない。
(3) したがって、第1次、第2次補正は認められるべきであり、本件発明の要旨は、第2次補正に係る訂正明細書に記載された特許請求の範囲に基づいて認定されるべきものであるから、これを登録時明細書の特許請求の範囲の請求項1記載のとおりと認定した審決は、本件発明の要旨の認定を誤った違法がある。
第4被告の反論の要点
審決の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。
1 取消事由1(本件訂正が登録時明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものではないとした判断の誤り)について
(1) 第3の1の(1)で原告が主張する審決の判断の内容並びに5年改正法附則2条1項及び5年特許法134条2項の内容及び適用関係は認める。
原告は、5年改正法施行日前の出願に係る特許について、5年改正法施行日以降に無効審判請求があった場合の訂正請求に対し、5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件を適用することは、憲法29条1項に反するものであると主張するが、もとより容認される余地のない主張である。
すなわち、憲法第29条1項の規定上、財産権であっても、公共の福祉との関係によって制限される場合があることは当然であるところ、5年改正法附則2条1項及び5年特許法134条2項は、原告主張の場合の訂正請求に対しても、新規事項追加禁止の要件を適用するものであり、訂正の要件についての制約を付加するものであるが、このことは、特許権者、第三者及び行政庁たる特許庁の三者の利益を考慮しつつ、公共の福祉に適合するものとして制定された規定であり、憲法29条1項に何ら違反するものではない。
(2) また、原告は、上記の場合に、5年特許法134条2項を適用することになる点が違憲とはいえないとしても、同項を適用するに当たっては、同項の「その訂正は、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならず」との規定が、新規事項追加禁止を定めたものではなく、5年改正法による改正前の特許法126条1項所定の訂正の要件と同旨のものと解すべきであるとも主張するが、5年特許法134条2項が新規事項追加禁止の要件を規定していることは明らかであって、それ以外の解釈をすることはできず、5年改正法施行日前の出願に係る特許について、5年改正法施行日以降に無効審判請求があった場合の訂正請求においても、当然、それを前提として適用されるものである。
特許出願日が相違することにより、同一の条文につき異なる解釈をすることなどは、特許法の解釈論上あり得ないことである。
2 取消事由2(第1次、第2次補正が本件訂正請求に係る請求書の要旨を変更するものとした判断の誤り)について
審決が、第1次、第2次補正につき、いずれも、訂正明細書の特許請求の範囲の請求項1における「安定化剤としてY2O3のみを」との記載を「安定化剤としてY2O3」との記載に補正する点が、特許請求の範囲の拡張であって、訂正明細書の要旨を変更するものであると判断して、該各補正を採用しなかったことは認める。
原告は、特許権者が、一度、訂正請求に係る訂正明細書に新規事項を追加してしまうと、それを削除して訂正請求を認められるようにする余地がなくなってしまうというようなことは、特許権者にとって著しく不利であり、発明の保護を図るという特許法1条の目的に反するものといわざるを得ないから、訂正請求をした特許権者が、訂正拒絶理由通知によって新規事項と指摘された点を元に戻し、新規事項を削除する補正については、要旨の変更に当たらないものと解すべきであるとして、審決の上記判断が誤りであると主張する。
しかしながら、訂正請求書に添付された訂正明細書は、特許無効審判の請求に対する答弁書とともに、特許無効審判の請求人に送達されるものであり(5年特許法134条3項)、その訂正請求書の要旨が補正によって再度変動することは、特許無効審判の請求人の攻撃防御手段を撹乱するものであって、請求書の要旨の変更が禁止されるのは、審判の審理の迅速化のほかに、このような弊害を防止するためである。そうであれば、訂正請求によって、特許請求の範囲を減縮しておきながら、補正によって再度これを拡張するようなことが、訂正請求書の要旨を変更する補正として許容されないことは当然である。現に、原告は、本件特許無効の審判請求に対する答弁書において、本件訂正に係る安定化剤としてY2O3のみを含むとした点が、先行技術と構成上相違する所以を縷々主張したところである。
また、原告は、訂正請求に係る訂正明細書に新規事項を追加した場合に、それを元に戻す補正が認められなければ新規事項を削除し得ないかのように主張するが、この点も誤りである。例えば、本件訂正請求に対する平成9年12月18日付訂正拒絶理由通知書においては、本件訂正のうち、「人工関節の回動する部分に用いられる人工関節用ジルコニアインプラント材であって」とする部分、及び「生体用と同様な環境に配置した場合の700日後の正方晶から単斜晶への相転移量が40%以下である」とする部分についても、新規事項の追加であるとの指摘がされているが、第1次補正が、上記各部分をそれぞれ「人工股関節の回動する部分に用いられる人工股関節用ジルコニアインプラント材であって」、「生体内と同様な環境に配置した場合の700日後の表面部の正方晶から単斜晶への変化が20%以下である」と補正したことについて、審決は、訂正請求書の要旨の変更と判断してはいないのである。
そもそも、原告は、新規事項を追加する訂正が許容されないこと、及び一旦訂正請求を行うと、請求書の要旨を変更する補正ができないことを重々承知し、これを十分考慮に入れたうえで、「安定化剤としてY2O3のみを」とする訂正が、本件特許の無効事由を回避するために不可避であるとの判断の下に本件訂正請求に及んだはずのものである。そうであれば、本件訂正が新規事項の追加であるとする訂正拒絶通知に対しては、意見書をもって、そうでない旨の反論をするか、もし反論ができないのであれば、新規事項の部分を削除し、しかも訂正請求書の要旨の変更とならない補正をすべきものである。仮にそのような補正の仕方が見つからないとすれば、それは本件訂正請求において「安定化剤としてY2O3のみを」と訂正した原告自身の責任であって、審決の判断を非難するのは筋違いである。一旦、特許請求の範囲を減縮する目的で訂正をするが、それが訂正の要件に違反するとの訂正拒絶理由通知を受けたら元に戻そうとするような特許権者に対する救済手段として、訂正請求書の補正の制度が存在するものではない。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(本件訂正が登録時明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものではないとした判断の誤り)について
(1) 原告は、5年改正法施行日前の出願に係る特許について、5年改正法施行日以降に無効審判請求があった場合の訂正請求に対し、5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件を適用することが、憲法29条1項に反するものであると主張する。
しかしながら、5年改正法は、従前のわが国の特許出願手続における明細書又は図面の補正の制度につき、特に出願公告すべき旨の決定の謄本の送達前における補正が、明細書又は図面の要旨を変更しない限り、出願当初の明細書又は図面に開示されていないいわゆる新規事項の追加であっても許容していたために、出願審査を遅滞させる要因となり、あるいは第三者の利益との均衡を失する場合が生じる等の問題があったほか、一般に新規事項を追加する補正の認められていない欧米諸国の制度との調和を欠いていたこと等から、制度の国際的調和を考慮しつつ、迅速な権利付与、出願の取扱いの公平性の確保、出願人と第三者とのバランスの確保等を図ることを目的として、明細書又は図面の補正については、願書に添附した(出願公告すべき旨の決定の謄本の送達前においては、願書に最初に添附した)明細書又は図面の範囲内においてすることを要するものとして(5年特許法17条、17条の2、17条の3、64条)、新規事項を追加する補正を禁止し、さらにそのこととの整合性を図るために、特許権の設定登録後の訂正審判請求又は訂正請求においても、「その訂正は、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければなら」(同法134条2項、126条1項)ないものとし、訂正によって新規事項を追加することを禁止することとしたものと解することができる。
そして、5年改正法は、訂正に関しては、5年改正法施行日において現に特許庁に係属する訂正審判請求につき、その審決が確定するまでの間、従前の例によることとして、5年特許法の規定を適用しないこととする経過措置を設けた(5年改正法附則2条1項)ものの、5年改正法施行日以降になされる訂正請求又は訂正審判請求については、そのような経過措置の規定をおかず、たとえ、5年改正法施行日前の出願に係る特許についてのものであっても、前示新規事項追加禁止を含む5年特許法所定の要件が適用されるものとしたが、これは、5年改正法施行日前の出願に係る特許であっても、5年改正法施行日以降における特許権存続期間が長期間にわたるものがあり、そのような長期間にわたって、出願時期の如何により、訂正の要件を異にする特許権を存続させることが手続の安定を欠き、妥当とはいえないことによるものと考えられるところ、前示のような、5年特許法が訂正請求又は訂正審判請求につき新規事項追加禁止の要件を設けた趣旨、及び、元来、特許権の権利内容は設定登録により一応は定まったものと観念されるのであるから、設定登録後の明細書又は図面の訂正が許容される場合は、設定登録前に補正が許容される場合と比較してより例外的であり、制限的であって然るべきこと等を考慮すると、かかる取扱いは合理性を有するものというべきである。
原告は、5年改正法施行日前においては、明細書に記載がなくとも、当業者にとって自明の事項であれば訂正が認められていたから、実務上、5年改正法施行日前の出願に係る特許については、明細書又は図面には自明の事項までいちいち記載しないことが多かったとし、そのような特許について、5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件が適用されるとすれば、本来は、無効審判の請求があっても、自明の事項を追加する訂正によって、特許無効の事由を解消し、特許権を維持できたはずであるのに、それが新規事項の追加に当たるとして訂正が認められず、特許権が消滅してしまうことが起こり得ることになり、必要な限度を超えて財産権を侵害するものであると主張するが、5年改正法施行日前においては、明細書に記載がなくとも、当業者にとって自明の事項であれば訂正が認められたこと、したがって、5年改正法施行日前の訂正審判請求であれば、訂正が認められたものが、5年改正法施行日以降の訂正審判請求又は訂正請求においては訂正が認められない事態が生じ得ることはそのとおりであるとしても、実務上、5年改正法施行日前の出願に係る特許の明細書又は図面には自明の事項までいちいち記載しないことが多かったとの事実を認めるに足りる証拠はないうえ、そもそも、特許権の設定登録に至った明細書が、将来訂正することを前提として記載されていたかのような主張自体、当を得ないものといわざるを得ない。そして、前示のとおり、5年改正法施行日以降になされる訂正請求又は訂正審判請求については、5年改正法施行日前の出願に係る特許についてのものであっても、前示新規事項追加禁止を含む5年特許法所定の要件が適用されるものとした取扱いは合理性を有するものである。
以上のとおりであるから、5年改正法施行日前の出願に係る特許について、5年改正法施行日以降に訂正請求があった場合に、5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件を適用することとなる5年改正法の規定が、憲法29条1項に反するものということはできない。
(2) また、原告は、前示違憲主張が認められない場合でも、5年改正法施行日前の出願に係る特許についての訂正請求に対し、5年特許法134条2項を適用するに当たっては、同項の「その訂正は、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならず」との規定は、新規事項追加禁止を定めたものではなく、5年改正法による改正前の特許法126条1項所定の訂正の要件と同旨のものと解すべきであるとも主張するが、かかる主張が理由がないことは、前示説示によって明白である。
(3) そうすると、審決が、本件訂正に対し5年特許法134条2項の新規事項追加禁止の要件を適用したことに誤りはなく、当該適用自体が誤りであることを前提として、本件訂正請求を認めなかった審決の判断を誤りであるとする原告の主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
2 取消事由2(第1次、第2次補正が本件訂正請求に係る請求書の要旨を変更するものとした判断の誤り)について
(1) 訂正請求に係る請求書の補正は、その要旨を変更するものであってはならないものとされている(5年特許法134条5項、131条2項)ところ、かかる請求書に対する補正に内容的な制限を設けた趣旨が、訂正請求についての審理手続の安定を図り、かつ、訂正請求の時期的な制限の規定(同法134条2項)が請求書の補正によって事実上潜脱されることを防ぐ点にあることは明らかである。
しかるときは、訂正請求書(添付の訂正明細書及び図面を含む。以下同じ。)において、特許請求の範囲を減縮する訂正をした場合に、これを再度拡張するようなことは、たとえ、その拡張後の特許請求の範囲が訂正前の範囲内に止まるものであっても、当該訂正請求がなされた特許無効の審判手続における、審判体及び無効審判請求人の対応が煩雑となって、手続の安定を害することになりかねず、前示の請求書に対する補正に内容的な制限を設けた趣旨に照らし、請求書の要旨を変更するものとして許容されないものと解すべきである。
そして、第1次、第2次補正において、訂正明細書の特許請求の範囲の請求項1における「安定化剤としてY2O3のみを・・・含み、」との記載を「安定化剤としてY2O3を・・・含み、」との記載に補正する点が、特許請求の範囲の拡張に当たることは明らかであるから、審決が、第1次、第2次補正につき、これが訂正請求書の要旨を変更する補正であるとして、採用しなかったことに誤りはないものといわざるを得ない。
(2) 原告は、本件訂正請求に対する平成9年12月18日付訂正拒絶理由通知書において、本件訂正のうち、安定化剤としてY2O3のみを含むとした点が新規事項の追加であるとの指摘を受けたことにより、第1次、第2次補正において、訂正明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載を「安定化剤としてY2O3を」に戻す前示補正をしたものであるところ、かかる補正が要旨変更として採用されないとすれば、特許権者が、一度、訂正請求に係る訂正明細書に新規事項を追加してしまうと、補正の機会が与えられたにもかかわらず、新規事項を削除して訂正請求を認められるようにする余地がなくなってしまうことなって、特許権者にとって著しく不利であり、発明の保護を図るという特許法1条の目的に反するものといわざるを得ないから、訂正請求をした特許権者が、訂正拒絶理由通知によって新規事項と指摘された点を元に戻し、新規事項を削除する補正については、要旨の変更に当たらないものと解すべきであると主張する。
しかしながら、新規事項を追加した場合を含め、訂正請求に内容的な瑕疵が存在する場合に、その瑕疵を解消する補正が、常に訂正請求書の要旨の変更に当たるものとは限らないから、訂正拒絶理由の通知によって、訂正請求書の補正をする機会が付与されることの意義が存在しないわけではなく、したがって、逆に、訂正拒絶理由の通知があったからといって、そこで指摘された拒絶理由についての補正がすべて許されなければならないものではない。補正が許容されるか否かが、補正自体の要件を具備するかどうかに係ることは極めて当然のことである。そして、新規事項の追加を含む訂正請求書の補正が、訂正請求書の要旨の変更に当たるものとして採用されないことにより、当該訂正請求自体も認められないこととなったとしても、そのような内容の訂正請求をしたこと自体による結果であって、そのこと自体が特許法1条の目的に反するものとは到底いい難い。
したがって、原告の前示主張は採用し難く、前示のとおり、審決が、第1次、第2次補正を、訂正請求書の要旨を変更するものであるとして採用しなかったことに誤りはない。
3 以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)